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魂のこよみ42週〈闇の中へ魂を導き入れ、心の熱を通して啓示を予感させるもの・・・〉
シュタイナーを学んで、「闇」というものの豊かさ、底知れない可能性に改めて気がついた。
創世記の第一日目の神々の言葉、「光あれ!」の前には、
カオスが、
漆黒の闇が辺りを覆っていた。
しかし、その闇は単なる虚無ではなく、そこからあらゆるものが生まれいづる可能性を持つ、熱を帯びた豊かな闇だった。
光と闇
昼と夜
天と地
意識と無意識
その間に 私たちはいる!
白か黒か、ではなく、両者を繋ぐこと。
橋渡しすることで、二つの隔たった極がダイナミックに融合する。
それがシュタイナー思想の醍醐味だ。
0,100(ゼロ、百)ではない、柔軟性と大らかさを持つ。
楕円軌道の二つの中心のように、二つの極を自由に揺れ動くことができる絶妙なバランス感覚が必要だ。
それを実際に自分の中にしっかり落とし込むには、やはり修行が、自己教育が必要だが。
オイリュトミーもその一つ。
オイリュトミーは、魂の筋肉をしなやかに鍛えるムービング・メディテーションと言えるだろう。
シュタイナーの教育観は、子どもの教育においても、「眠り」や「忘れること」を大切にしている。
夜の眠りを通してこそ、昼の学びが生き生きと甦り、新たに継続され、
忘れることを通してこそ、表面的な詰め込み知識の暗記ではなく、本物の叡智が残る。
見えるものが、見えないものに支えられているように、
光も闇に支えられている。
冬のあいだ、大地の闇の中で、生命は活発な営みを続け、
来るべき春に向けて、冬の眠りの中で、着々と準備をしている。
我が敬愛する詩人、リルケも闇が好きな人だった。
リルケ詩集「時禱集」より
●シュタイナー「魂のこよみ」 42週 高橋巌 訳 イザラ書房
闇の中へ魂を導き入れ
心の熱を通して
感覚の啓示を予感させるもの、
それはこの冬の暗がりの中での
おのれの力の発現であり、
魂の力強い衝動である。
冬の大地の中で、種が芽を出す準備をしているように、
私の自我の力も暗がりから、力を得て、新たな姿を表そうとしている。