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2026-06-29 09:52:00
魂のこよみ12.「ヨハネの季節」 ー魂の奥底の力を解き放つ
夏至の日、午前中は雨模様でしたが、午後は雲間から太陽が輝きました✨
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シュタイナー「魂のこよみ」12.
高橋巖 訳
ヨハネの季節
6/23~29
万象の美しい輝きが
魂の奥底に生きる神々の力を
宇宙の果てまで解き放つ。
私はおのれ自身から離れ去る。
そして信頼をこめて再び私を
宇宙の光と熱の中に求める。
・・・
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昨日6/21 は夏至だった。
ヨハネ祭(夏至 )の頃、太陽は最も高みに昇り、輝きを放ち、
大自然の呼吸も外へ向かって息を吐ききり、地球は眠りにつく。
人間の魂は、外へと広がり、外界の感覚世界へ我を忘れ没入する。
と同時に、宇宙的な光とひとつに繋がるのだという。
そのためだろうか。
夏至の日の午後、奏身舎で開催した「幼児オイリュトミー親子クラス」では
幼児たちはとってもハイで、それはそれはエネルギーに溢れていた!
そして大人たちも「子ども」になってメルヘンの世界に没入していた!
昨日の幼児オイリュトミーでは、グリムのメルヘン「カエルの王様」を選んだのだが、
「メルヘンとシンクロした出来事が、参加者の家族に最近起こった」
という話を、終わってから聞いた。
それは、自分の魂の奥底の「本当の気持ち」に気づき、
思い切ってアクションを起こす、というものだった。
行動した結果、事態が一気に変化し、膠着していた問題が新たな展開を見せたとのこと。
メルヘンのテーマとの共時性に驚かずにはいられなかった。
メルヘン「カエルの王様」では、こんな場面が展開される。
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〈王女さまは、とうとうカンカンになって、カエルをつかみ上げると、
壁めがけて「エイッ」投げつけました。
するとどうでしょう。
壁から落ちてきたのは、もはや醜いカエルではなく、
やさしい目をした王子様だったのです。
王子様は、悪い魔女に魔法にかけられていましたが、
それを助け出したのは、お姫様だけだったのです。
2人は仲良くなり、結婚することになりました。
翌る日、2人を迎えに馬車がやってきます。
馬車の後ろには若い王様の家来のハインリッヒが乗っていました。〉
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「カエルの王様」のクライマックスでは、
お姫さまがアクションを起こした途端に、拘束していた魔法が解け、
登場人物達は連鎖反応のように、
古い「カラ」から、脱皮し、大変身を遂げるのだ!
お姫さまがカエルを投げつけたことで
カエルは、「やさしい目をした王子様」に、
そしてお姫さまも、幼い子どもから大人になり、変身した王子と結婚し、
王子も「若い王様」となるのだ!
王子の忠実な家来“ハインリッヒ”は、胸に嵌めていた、鉄の輪を次々と外す!
この物語の正確なタイトルは、「カエルの王様、または、鉄のハインリッヒ」である。
“ハインリッヒ”は、物語の最後にようやく登場する、不思議な人物である。
(彼は、王子がカエルにされてしまった悲しみのあまり、胸が張り裂けぬように3本の鉄の輪をはめていた。それが最後に、ようやく鉄の輪を外し、本来の心のままの姿になることができたのだ。)
私たちの魂の奥底には、大きなエネルギーがある。
それは、固定化した自分を変容させ、もっと成長したいという切なる願望だ。
願いを実現させるためには、「ほんとうの出会い」「ピュアな感情」が必要なのだ。
夏至の日に、起こった「共時性」は 大きな世界からのメッセージだろうか。
きっとそうに違いない。
この季節ならではの「解き放つ力」を信頼し、
余分なものを放ち、より「本質的なもの」「本当の私」と確かに出会えたらと願う。
万象の美しい輝きが
魂の奥底に生きる神々の力を
宇宙の果てまで解き放つ。
そして信頼をこめて再び私を
宇宙の光と熱の中に求める。
✳︎次回の幼児オイリュトミー親子クラスの予定:
7月はお休みさせていただき、8月1日(土曜) 15時から開催予定です。
2026-06-03 07:54:00
魂のこよみ9.「おのれを見出すためには おのれ自身を失え」
6月になり、汗ばむような気温になりました💦。
◉夏の訪れ
魂のこよみ9週目は、
「夏の訪れを知らせる 宇宙の熱が・・」
の言葉から始まります。
例年より早く、夏が到来したのを
庭の花たちも教えてくれました。
ノコギリソウ カルミア
バラ「レオナルド・ダ・ヴィンチ」
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シュタイナー
「魂のこよみ 」9週
6/1~8
高橋巌訳 1985年版
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夏の訪れを知らせる
宇宙の熱が
私の霊魂を満たす時
もはや自分の意志は気にかからない。
霊視するためには、光の中で
我意を捨てねばならない。
予感が力を込めて私に告げる。
「おのれを見出すためには
おのれ自身を失え。」
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◉本当の自分を見出すために
ー平安末期の歌僧、西行の歌
9週の魂のこよみ、最後の言葉はこうです。
「おのれを見出すためには おのれ自身を失え。」
この言葉で思い起こしたのは、
平安末期を生きた歌僧、西行法師の歌。
身を捨つる
人はまことに捨つるかは
捨てぬ人こそ
捨つるなりけれ
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二十年以上前に、「西行」をテーマにした、オイリュトミーと能のコラボ公演
「西行〜ゲノムの夢」を東京で開催したことがあり、
「身を捨つる」・・の歌を、オイリュトミーのS音で動いたのでした。
「捨つ」という語を畳み掛けるように、Sの仕草で繰り返すと、
S の鋭い響きがこだまし、余分なものが削ぎ落とされ、意識が冴え渡ってくるようです。
この西行の歌について、私はこのように解釈しました。
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「出家した人は、“本当の自分”を捨ててしまったのだろうか。
いや、出家によって人間の本質=「本来の自分」を悟り、不要なものを削ぎ落とし、
本質的なものを大切にしているのだから、捨ててはいないはずだ。
卑小な自我=我意を捨てていない人こそ、
本来の自分自身を蔑ろにしているのではないだろうか。」
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西行 (1118年〜1190年2月16日)
平安末期から源平騒乱の末法の世に生きた佐藤義清(のりきよ)は23歳の時、北面の武士としてのエリートの座を捨てて出家、名を「西行」・・西へ行くもの(浄土へ逝くもの)と改める。
真言密教の僧として仏道を求めつつも、捨てきれぬ執着、迷いを多くの歌に詠む。
自らの心をひたすら見つめた作品を多く残し、後の松尾芭蕉や北原白秋等に深く影響を与えた。
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「歌、すなわちこれ、如来の真の形態なり」
これは、西行が明恵聖人に語ったとされる、明恵聖人伝に残る歌論の1節です。
歌の中に神秘的な真言の力、根源の創造のエネルギーを見出した歌僧の姿が伺えます。
西行は、
「うた」を詠むことで、そこに「ほとけ」をあらわすことができると考えていました。
ふと思ったのですが、週ごとの瞑想の言葉「魂のこよみ」も
「うた」のような性格があると感じました。
私たち一人一人の心の奥に届くように
短いイメージの言葉で
うたい、呼びかけている・・・そんな気がするのです。
人間の魂には、
説明的な文章では、決して届かぬ領域があります。
私が大好きな仏像(レリーフ)
平等院鳳凰堂の
「雲中供養菩薩」(音声菩薩)
様々な楽器を持ち、奏でつつ歌いながら、
浄土からこの世へと舞い降りてくるお姿が
たまらなく愛らしくて美しいのです。
私が木彫制作する、
一つのきっかけとなった作品でもあります。
2026-05-26 09:01:00
魂のこよみ8.「人間的な思考は夢の中に・・・」
もうすぐ6月。
太陽は、次第に高みへと昇り、
緑の木々は一層光り輝き、花が香り立ちます。
第7週では、圧倒的な感覚体験の中で、「我を忘れて隠れてしまいそうになる」
そんな自我に成り変わって、
「どうか予感が現れますように!」と願う言葉でした。
「私の自我は身を隠そうとしている。
だから予感よ、現れよ。」
大自然の外なる光が強まるにつれ、
私たちの思考は、明確さを欠き、
夢のように 輪郭線のぼやけた「暗い作業」になってしまうかもしれない。
でも、そのぼんやりした「夢の中」にこそ、
神的な存在との出会いが用意されているかもしれないのです。
我が愛する、日本の中世の歌謡「梁塵秘抄」でも、このように謳われています。
✨梁塵秘抄(26)✨
・・
仏は常にいませども
現《うつつ》ならぬぞ あはれなる
人の音せぬ暁《あかつき》に
ほのかに夢に 見えたまふ
✨
羽化したばかりの緑の蝉
(夏至の頃、庭で撮影)
・・
羽化したばかりの蝉は、
この世のものとも思えぬほど美しい。
暗い地中の闇から、光の世界へと新たに蘇ったばかり。
蝉の瞳も、まだぼんやり微睡んでいるように見える。
透明な緑の翅は、
オイリュトミーのシュライヤーのよう!
空に羽ばたく頃には、地上的な茶色に変容するのです。
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シュタイナー「魂のこよみ 」8週 5/26~31
高橋巌訳1985年版
ますます力を増してきた感覚の力は、
神々の創造行為に協力して
思考を夢の暗い作業に変える。
神的な存在が
私の魂の中に
結びつこうとする時
人間的な思考は夢の中に
安んじて身を委ねればよい。
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2026-05-20 08:50:00
魂のこよみ7.「予感よ、現れよ」
ここ数日で、一気に気温が上がり、夏の到来を思わせる。
目の前の森を見遣ると、
こんなにも緑は輝き、勢いづき、枝を高々と伸ばしている。
「ああ・・美しい。」
感嘆詞とともに、
自分も母音の[A / あー]のように、
空間に広がり溶けてしまいそうだ。
森羅万象の輝きの中に、
我を失いそうになってしまいそうだ。
だからこそ、
「予感」が現れてほしい。
自らの内なる導き手となるように。
シュタイナー「魂のこよみ 7週」
5/19~25
高橋巌訳 イザラ書房 1985年版
〜〜〜〜〜
大自然の光に強く引き寄せられて
私の自我は身を隠そうとしている。
だから予感よ、現れよ。
そして思考の力に代わって
私の認識のために働け。
思考は今、感覚の仮象の中で
自分を見失おうとしている。
*・゜゚・*:.。..。.:**:.。. .。.:*・゜゚・*

🌟 7週目は、46週目(2/16~22) と対になっており、
夏に向かってゆく今週の言葉は、春に向かっていく冬の日の言葉と対応関係になっているようです。
自然 ↔️ 世間(社会)
未来からの予感 ↔️ 過去からの思い出
思考の力 ↔️ 意志の力。
〜〜〜〜〜〜〜
〈7週目〉 〈46週目〉
大自然の光に → 世間が
私の自我 → 生来の魂力を
身を隠そうとしている。→ 麻痺させようとする。
だから予感よ、現れよ。 → だから思い出よ、霊の深みから現れよ。
そして思考の力に代わって → 意志の力に支えられた
私の認識のために働け。 → 見る力を強めよ。
*・゜゚・*:.。..。.:*・*:.。. .。.:*・゜゚・*
「四季とその祭り」シュタイナー 1923年
人間の魂は、春になると宇宙へ赴こうとする地球の魂についていこうとします。
しかし、そうすることができません。
人間の魂は自由の感情と自我感情を発達させたので、天上の高みでは気を失ってしまうのです。
しかし、秋になると、ミカエルが降りてきて、キリストの代理として人間に協力してくれるのです。
そのことを人間の魂は感じ取るのです。
宇宙へと赴こうとする力と、地球へと降りてくる力。
その二つのせめぎ合いの中で、
私たちは、内から外へ、外から内へと目覚めることができます。
地球ともに、深い魂の呼吸を、ともに体験することができます。
2026-05-16 21:00:00
魂のこよみ6.「狭い自分を乗り越えて 時間と空間の働きの中に蘇るとき」
☘若葉の頃は、全てが輝いて見えます!✨
山桜には小さな桜桃
森や庭の木々。緑がますます豊かに輝いてる
*・゜゚・*:.。..。.:*・・*:.。. .。.:*・゜゚・*
シュタイナー「魂のこよみ」6週目
高橋巌 訳
狭い自分を乗り越えて
時間と空間の働きの中に蘇るとき
私の自我は宇宙を啓示する者となる。
そのとき宇宙はいたるところで
おのれの姿の真実を
その神的現像を
私のために開示する。
*・゜゚・*:.。..。.:*・*:.。. .。.:*・゜゚・*
◉「狭い自分」とは?
ー利己的なエゴイズムに駆られた「私」
先週「第5週」のこよみでも、語られていた「狭い自我」。
「狭い自我」の内なる強制を脱して
今新たに 蘇ろうとする」
2週続けて綴られる「狭い自我」「狭い自分」という言葉にハッとさせられます。
「狭い自分」とは「卑小な自分」のこと。
狭くて偏ったエゴイズムに駆られ、自分さえ良ければ、と自己中心的になり、
ちっぽけな「私」は、狭い視野で、
自らが作った牢獄の中にがんじがらめに閉じ込められています。
そして、他者をありのまま受け入れられず、寛容さを保てなくなる・・。
そう、
この小さな「私」は、弱くて、ちっとも自由ではありません。
でも、
そういう状態は、日々の中で多々遭遇しますね。
その都度、ふ〜っとため息をついてしまう事も多いでしょう。
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・
◉狭い自分を乗り越えるには
他者の存在が必要
一体どうやったら、狭い自分を乗り越えることができるのでしょうか。
大我を目指して 新しく蘇るには、
内的な力を目覚めさせることが大切。
そのための行法を シュタイナーは教えてくれています。しかし、乗り越えよう、と努力してみても
「自分自身の進化のため」だけだと、
すぐ壁にぶち当たり、
すごく難しいようなのです。
ところが、
「自分以外の『誰か』のため」
「自分が関わっている『仲間たち』のため」
「共同体のため」
自分以外の他の人の存在を感じることで、
なぜか頑張れる。
心があたたかく満たされ、
小さな自分の中に、大きな力が湧いてきて、
高く引き上げられるようなのです!
・
・
◉高次の進化には、
親密な共同体の意識が必要
「利己的な目的から、霊的発展を求めるものは進歩しない」
と、シュタイナーは語ります。
高次の進化には、親密な人間共同体の意識が必要だというのです。
「低次の自我」に関する限り、私は他者とは別な存在です。
しかし、「高次の自我」に関しては、私は他者と離れてはいません。
他者と一体なのです。
私に「高次」の真理について語る他者は、「私自身」なのです。
そして、この「高次の自我」のみが、超感覚的世界に上昇することができるのです。
あの人は私より得をしている、と言うような感情を克服しなければなりません。
利己的な自我から、「高次の自我」のために利益が得られる事は決してありません。
自分より進んでいる人の立っているところに、いつか将来、自分も立つようになるのです。
あらゆる神秘的な進化の基本条件は、ある1つの感情であるといいます。
「天の国に入るためには、幼子のようになれ。」
シュタイナー「霊視と霊聴」西川隆範訳より抜粋、編集し引用。
一部表現を改めました。
*・゜゚・*:.。..。.:*:.。. .。.:*・゜゚・*
幼子、というと・・
5、6年前の思い出が蘇ってきました。
その日は、創造の森保育園にて幼児オイリュトミーの仕事でしたが、
コロナの影響で、園児たちは半分くらいの人数でした。
窓を開け換気を良くしたお部屋で
手遊びを楽しみ、オイリュトミーをやりました。
五月の太陽。その晴れ渡る輝きのように、
心の中に輝く、内なる太陽の光と熱を感じて
母音の IAO(イアオ)を子どもたちをやりました。
I 頭の上から貫く光を感じつつ、まっすぐな背骨を伸ばし、
A 脚を開き、大地の重さをどっしりと感じます。
O あたたかい空気を胸のあたりに感じ、まぁるく腕で包み込みます。
すると・・とっても気持ちがいいんです。
大人の生徒さんとやるのとは、また異なる喜びが、心と体から自ずと湧いてきます。
この世に体を持って生まれ、大地で生きることへの、強い意志の力
歓びそのものでしょうか。
三つの母音の揺るぎない力を、この時、しっかりと確かに感じたのでした。
生命が脅かされる「コロナ禍」という特別な時期だったからこそ、濃厚に感じられたのかもしれません。
母音 IAO(イアオ)
このシンプルな動きを、園児たちはとっても喜んで、誇らしげに動きます!!
それは響きの中に人間の本質が、込められているから。
幼い子どもたちは、大人よりも直感的に、大きな世界との一体感をまだ持っているからでしょうか。
「霊界の思い出を幼児たちは持っている」
「子どもは霊界の継続である」
そう、シュタイナーは語っています。
園児たちが動作言語のオイリュトミーを、大好きなのは、動作の感覚の中に
「自分たちがかつていた故郷、キラキラした輝ける天の世界との一体感」があるから。
この一体感は、幼児たちへ与えられた贈り物。
幼児期にだけ、与えられた恩寵を 大切にしてあげたいと思います。
5月は、
花も🌼、蝶も🦋、鳥も🕊、森の木々も🌳、いつもより輝いて見えます!!✨
創造の森保育園の園庭と畑
狭い自分を乗り越えるために
羽ばたく力を得るには?
地上的な自分と
宇宙的なものとの「橋渡し」が必要です。
それには、他者への愛が欠かせません。














