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魂のこよみ44週「新たな感覚の刺激を受け明るく澄んだ魂は・・」
👹節分から立春へ
節を分ける、と書くように、節分は季節の始まりの日の前日です。
季節は冬から春へと移ろい、厳しい寒さの中にも春の光を感じます。
Rebirth / 木彫:渋谷智栄子
◉「明るく澄んだ魂」は
「誕生」を想い出す
✨光の質が変わり、私たちの感覚も春めいた新たな刺激を外から受けとると、内なる魂はより明るく澄んでくるようです。
そうした時に、ふと思い起こすのです。
かつての「誕生」を。
なんのために生まれ、いま、生きているのか?
この世での任務、自分に与えられたミッションがなんだったのか、
いま一度、振り返ろうとします。
⭐️肉体の誕生は、この地球で母の胎内から生まれ出た時。
肉体という衣をまといます。
🌟霊の誕生は、肉体の衣を脱ぎ捨て、光の衣をまとう時。
すなわち、「死」を迎え、天へと旅立つとき。
それは人生の総決算でもあり、私たちが生きている間、抱いた様々な思い、思考内容が
死の瞬間に全て解放され、新たな「生」に向けて、蝶のように飛び立つといいます。
🦋片山敏彦は「霊の蝶は飛び立つ」という詩で、その瞬間を美しく表現しています。
霊の蝶は飛び立つ。
神の光の中へ
天體は
明るい顔をしている。
永遠の今
美は、神からの
なぐさめ
片山敏彦「遺稿集」より
かつて「オールソウルズディ」という催しを2015年、2019年、2020年、
那須と仙台で開催しました。
オールソウルズデイ仙台2/22 では、片山敏彦「霊の蝶は飛び立つ・・」を、私がオイリュトミーで動き、ブラームスの「インテルメッツォ」に繋げました。
◉見えない世界を
頭・心・体で動く
✨オイリュトミーには、こうした目に見えない世界を、生身の体で動くことで、
絵空事ではなく、現実にあるものとして実感したり、心でイメージ化することを助けてくれる役割があります。
3次元空間で動く、というのは、心身にリアルな実感をもたらしてくれます。(バーチャルな世界とは真逆ですね)
しかも、『思考・意志・感情』ー人間の魂の力すべてを使うので、自分を支える中心の力が、活性化されるんですね。3点セットで用いることで、
頭でっかちになったり、
意志が暴走したり、
感情に耽溺したりせず、
一つのことに偏らず、バランス良く、大きな調和がもたらされることもオイリュトミーの持つ大きな特徴と言えるでしょう。
◉「混沌とした宇宙生成」をカタチにする
「思考の創造意志」
🌀さて、混沌とした宇宙生成(無限の可能性を秘めた生命の源)の営みに
形(概念)を与えるのは、「思考の働き」
分別という言葉があるように、分ける力のことです。
一人一人の「私」が、
「これまでにない、何かを創りたい!」
「善きものを生み出したい!」と願う「意志の力」を、
無意識レベルから意識にまで高めるときに、
この明るい初春の光は、思考の光とリンクするのでしょうか。
盲目的な意志は、思考によって、明確な目標となるカタチが与えられ、
人生を導くものになるのでしょうか?
そうあってほしいと切に願います❣️
以下の「魂の暦」44週は、イザラ版とちくま文庫の高橋巌先生の訳を、
オイリュトミーをするのに私が一部分変えたものです。
💎シュタイナー「魂の暦」 44週
▼オールソウルズデイ仙台 /神聖なものとして「死」を体験する
https://ameblo.jp/eurytmie-sousinsya/entry-12577250980.html
▼【オールソウルズデイ那須】「こちらの世界」から「あちらの世界」へ
https://ameblo.jp/eurytmie-sousinsya/entry-12528046379.html
魂のこよみ43週〈魂の火力が強まる〉
〈魂のこよみ・43週〉は、厳しい冬の最中に読むと、とても力強く響いてきます。
読むと、いつも心に「熱」「火」の力を絶やさぬようにしたい・・と思うのです。
それがリアルに感じられるのも、冬の寒さにおいてこそ!
思い起こせば20年前、初めてオイリュトミーソロ公演「闇から光」を東京と那須で開いた時、〈魂のこよみ・43週〉の言葉をオイリュトミーで動いたのでした。
そこから何か新しい衝動を、20年前の私は受け取ったのでしょうか。
その翌年、東京から那須へと移住したのでした。
雪の奏身舎
銀世界の木立
●魂は働くことで輝く!
厳冬期に〈魂のこよみ 〉43週を読むと、スロバキア民話「12つきのおくりもの」を思い起こします。
【あらすじ】
主人公のマルーシカは継子。いつも母さんや姉から辛くあたられる。
姉のホレーナは、一日中怠けて遊んでばかりいるのに、マルーシカは、朝から晩まで働かなければならない。
水を汲んだり、お掃除をしたり、お料理をしたり、薪を割ったり・・・休み暇もないほど。
けれど、マルーシカは少しも嫌がらず、一生懸命に働けば働くほど、どんどん美しくなってゆく・・・・。
継母たちは美しいマルーシカを憎み、寒い冬の森でスミレを摘んでくるようにと命じた。
泣きながら雪に埋もれた深い森にはいっていくと、大きなたき火を囲んだ12の月の精に出会い、12月の精たちが杖をふるうと、冬は春に、夏に、秋に…。季節がみるみるうちに変容するのです。
そして働き者のマルーシカは最後に幸せをつかみます!
しかし、怠け者のホレーナは、冬の森に閉じ込められたまま・・・
・・・大自然の恩寵と畏怖を伝えるスロバキア民話。
43週では「心の働きを通して実在の確かさを与える」とありますが
私たちはこの世で働くことで、意志を通して世界に具体的に関わることができます。
地上の厳しい現実世界において、一生懸命に労働し、私たちの魂は鍛えられ、より輝かせることができるのです。
魂の本来の輝きが現れることをメルヘンでは、「美しい」と表現しています。
●内面が現れること=「美しいこと」
メルヘンの中では「真善美」はセットのようです。✨
「美だけ」しかない、というのは、むしろ「悪」に近いのかもしれませんね。
例えば白雪姫の継母は、綺麗ですが、高慢で妬み深いキャラクターです。
「世界で一番美しいのは誰?」と鏡に尋ね、「白雪姫は千倍きれい!」と答えが返ってくると怒り狂い、物売りに化けて毒を使って姫を殺そうと企む、・・・
そんな、継母のお妃は美しいのは上部だけで、魂は醜かったのでしょう。
働けば働くほど、美しく、光り輝く・・・それは、地上の現実としっかり格闘することで、その人の本質が磨かれ、ますます自分らしくなってゆくから。
隠れていた内面が外に現れ出て、光り輝くことで、人は一層美しく見えるのではないでしょうか!
逆に、その人の本質が見えなくなると、それは「醜い=見にくい」のです。
自分らしさが外に出せるように、自分の本質=自我が輝くように・・そうありたいですね!
子どもの教育においても、その子らしさが否定されてしまうと、自我が育ちません。
なので、気質による違いをシュタイナー教育では、とても大切にします。
●魂の火力が強まる
奏身舎では、暖房に薪ストーブを使っています。
リモコンで温度調整できるエアコンと違い、暖をとるのも、働かなければならない。
薪割り、小枝集め。そして火を絶やさぬためには、一生懸命に、薪をくべなければならないので手間はかかります。
でも、本物の火のあたたかさは格別で、心も体も芯からあたためてくれるのです。
そう、みんなの喜ぶ顔を思い浮かべると、多少の手間がかかっても
薪ストーブ生活はやめられないですね!
シュタイナーの、とある本で、意志を持続するために「自らを薪にして燃やさなければ・・・」という表現があったのですが、
魂の熱がないとネガティブな気分=虚無の冷たさに負けてしまいます。
何かやろうという気持ちが起きず、
一歩も進めなくなってしまいます。
こんなことして、何の意味があるの?
どうせ、無理に決まってる。
大多数に逆らうのは無駄骨・・・。
でも、そこに、魂の熱があれば・・・
熱は周りに伝わり、少しずつ現実が変わってゆくかもしれません。
そう、熱は変化を可能にする力。
奇跡を起こさせる力といっても良い。
その魂の火力を強める冬の恵みを、43週は語っています。
真冬の凍てつく寒さの中で、私たちの精神ははっきりと目覚め、
心を動かし、生き生きと働かせることを通して、
私も、宇宙も、今ここに存在している実感が湧いてくる。
私たちの魂の中でも 自らを薪にして魂の焔を熱く燃やし続けることで
虚無の冷たさに打ち勝つことができるのです。
魂のこよみ43週 高橋巖 訳
深い冬の中で
霊の真存在が目覚める。
それは心の働きを通して
宇宙の現象に 実在の確かさを与える。
人間の内部では魂の火力が強まり、
宇宙の冷気と戦う。
魂のこよみ42週〈闇の中へ魂を導き入れ、心の熱を通して啓示を予感させるもの・・・〉
シュタイナーを学んで、「闇」というものの豊かさ、底知れない可能性に改めて気がついた。
創世記の第一日目の神々の言葉、「光あれ!」の前には、
カオスが、
漆黒の闇が辺りを覆っていた。
しかし、その闇は単なる虚無ではなく、そこからあらゆるものが生まれいづる可能性を持つ、熱を帯びた豊かな闇だった。
光と闇
昼と夜
天と地
意識と無意識
その間に 私たちはいる!
白か黒か、ではなく、両者を繋ぐこと。
橋渡しすることで、二つの隔たった極がダイナミックに融合する。
それがシュタイナー思想の醍醐味だ。
0,100(ゼロ、百)ではない、柔軟性と大らかさを持つ。
楕円軌道の二つの中心のように、二つの極を自由に揺れ動くことができる絶妙なバランス感覚が必要だ。
それを実際に自分の中にしっかり落とし込むには、やはり修行が、自己教育が必要だが。
オイリュトミーもその一つ。
オイリュトミーは、魂の筋肉をしなやかに鍛えるムービング・メディテーションと言えるだろう。
シュタイナーの教育観は、子どもの教育においても、「眠り」や「忘れること」を大切にしている。
夜の眠りを通してこそ、昼の学びが生き生きと甦り、新たに継続され、
忘れることを通してこそ、表面的な詰め込み知識の暗記ではなく、本物の叡智が残る。
見えるものが、見えないものに支えられているように、
光も闇に支えられている。
冬のあいだ、大地の闇の中で、生命は活発な営みを続け、
来るべき春に向けて、冬の眠りの中で、着々と準備をしている。
我が敬愛する詩人、リルケも闇が好きな人だった。
リルケ詩集「時禱集」より
●シュタイナー「魂のこよみ」 42週 高橋巌 訳 イザラ書房
闇の中へ魂を導き入れ
心の熱を通して
感覚の啓示を予感させるもの、
それはこの冬の暗がりの中での
おのれの力の発現であり、
魂の力強い衝動である。
冬の大地の中で、種が芽を出す準備をしているように、
私の自我の力も暗がりから、力を得て、新たな姿を表そうとしている。