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魂のこよみ9.「おのれを見出すためには おのれ自身を失え」
6月になり、汗ばむような気温になりました💦。
◉夏の訪れ
シュタイナー
「魂のこよみ 」9週
6/1~8
高橋巌訳 1985年版
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夏の訪れを知らせる
宇宙の熱が
私の霊魂を満たす時
もはや自分の意志は気にかからない。
霊視するためには、光の中で
我意を捨てねばならない。
予感が力を込めて私に告げる。
「おのれを見出すためには
おのれ自身を失え。」
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◉本当の自分を見出すために
ー平安末期の歌僧、西行の歌
9週の魂のこよみ、最後の言葉はこうです。
「おのれを見出すためには おのれ自身を失え。」
この言葉で思い起こしたのは、
平安末期を生きた歌僧、西行法師の歌。
身を捨つる
人はまことに捨つるかは
捨てぬ人こそ
捨つるなりけれ
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二十年以上前に、「西行」をテーマにした、オイリュトミーと能のコラボ公演
「西行〜ゲノムの夢」を東京で開催したことがあり、
「身を捨つる」・・の歌を、オイリュトミーのS音で動いたのでした。
「捨つ」という語を畳み掛けるように、Sの仕草で繰り返すと、
S の鋭い響きがこだまし、余分なものが削ぎ落とされ、意識が冴え渡ってくるようです。
この西行の歌について、私はこのように解釈しました。
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「出家した人は、“本当の自分”を捨ててしまったのだろうか。
いや、出家によって人間の本質=「本来の自分」を悟り、不要なものを削ぎ落とし、
本質的なものを大切にしているのだから、捨ててはいないはずだ。
卑小な自我=我意を捨てていない人こそ、
本来の自分自身を蔑ろにしているのではないだろうか。」
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西行 (1118年〜1190年2月16日)
平安末期から源平騒乱の末法の世に生きた佐藤義清(のりきよ)は23歳の時、北面の武士としてのエリートの座を捨てて出家、名を「西行」・・西へ行くもの(浄土へ逝くもの)と改める。
真言密教の僧として仏道を求めつつも、捨てきれぬ執着、迷いを多くの歌に詠む。
自らの心をひたすら見つめた作品を多く残し、後の松尾芭蕉や北原白秋等に深く影響を与えた。
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「歌、すなわちこれ、如来の真の形態なり」
これは、西行が明恵聖人に語ったとされる、明恵聖人伝に残る歌論の1節です。
歌の中に神秘的な真言の力、根源の創造のエネルギーを見出した歌僧の姿が伺えます。
西行は、
「うた」を詠むことで、そこに「ほとけ」をあらわすことができると考えていました。
ふと思ったのですが、週ごとの瞑想の言葉「魂のこよみ」も
「うた」のような性格があると感じました。
私たち一人一人の心の奥に届くように
短いイメージの言葉で
うたい、呼びかけている・・・そんな気がするのです。
人間の魂には、
説明的な文章では、決して届かぬ領域があります。
私が大好きな仏像(レリーフ)
平等院鳳凰堂の
「雲中供養菩薩」(音声菩薩)
様々な楽器を持ち、奏でつつ歌いながら、
浄土からこの世へと舞い降りてくるお姿が
たまらなく愛らしくて美しいのです。
私が木彫制作する、
一つのきっかけとなった作品でもあります。




