那須 ・ 奏身舎

オイリュトミーホール 那須 ・ 奏身舎(そうしんしゃ)へようこそ

ブログ

2026-06-03 07:54:00

魂のこよみ9.「おのれを見出すためには おのれ自身を失え」

6月になり、汗ばむような気温になりました💦。

 

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◉夏の訪れ

魂のこよみ9週目は、
「夏の訪れを知らせる 宇宙の熱が・・」
の言葉から始まります。
例年より早く、夏が到来したのを
庭の花たちも教えてくれました。   
 ノコギリソウ            カルミア
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バラ「レオナルド・ダ・ヴィンチ」
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シュタイナー

「魂のこよみ 」9週 

6/1~8 

高橋巌訳     1985年版

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夏の訪れを知らせる

宇宙の熱が

私の霊魂を満たす時

もはや自分の意志は気にかからない。

霊視するためには、光の中で

我意を捨てねばならない。

予感が力を込めて私に告げる。

「おのれを見出すためには

おのれ自身を失え。」

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◉本当の自分を見出すために

        ー平安末期の歌僧、西行の歌

9週の魂のこよみ、最後の言葉はこうです。

「おのれを見出すためには おのれ自身を失え。」

この言葉で思い起こしたのは、

平安末期を生きた歌僧西行法師の歌。

 

身を捨つる

人はまことに捨つるかは 

捨てぬ人こそ

捨つるなりけれ

二十年以上前に、「西行」をテーマにした、オイリュトミーと能のコラボ公演

「西行〜ゲノムの夢」を東京で開催したことがあり、

「身を捨つる」・・の歌を、オイリュトミーのS音で動いたのでした。

「捨つ」という語を畳み掛けるように、Sの仕草で繰り返すと、

S の鋭い響きがこだまし、余分なものが削ぎ落とされ、意識が冴え渡ってくるようです。

この西行の歌について、私はこのように解釈しました。

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「出家した人は、“本当の自分”を捨ててしまったのだろうか。

いや、出家によって人間の本質=「本来の自分」を悟り、不要なものを削ぎ落とし、

本質的なものを大切にしているのだから、捨ててはいないはずだ。

卑小な自我=我意を捨てていない人こそ、

本来の自分自身を蔑ろにしているのではないだろうか。」

西行 (1118年〜1190年2月16日)

平安末期から源平騒乱の末法の世に生きた佐藤義清(のりきよ)は23歳の時、北面の武士としてのエリートの座を捨てて出家、名を「西行」・・西へ行くもの(浄土へ逝くもの)と改める。

真言密教の僧として仏道を求めつつも、捨てきれぬ執着、迷いを多くの歌に詠む。

自らの心をひたすら見つめた作品を多く残し、後の松尾芭蕉や北原白秋等に深く影響を与えた。

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「歌、すなわちこれ、如来の真の形態なり」

これは、西行が明恵聖人に語ったとされる、明恵聖人伝に残る歌論の1節です。

歌の中に神秘的な真言の力、根源の創造のエネルギーを見出した歌僧の姿が伺えます。

西行は、
「うた」を詠むことで、そこに「ほとけ」をあらわすことができると考えていました。

 

 

ふと思ったのですが、週ごとの瞑想の言葉「魂のこよみ」も

「うた」のような性格があると感じました。

 

私たち一人一人の心の奥に届くように 

短いイメージの言葉で

 うたい、呼びかけている・・・そんな気がするのです。

人間の魂には、

説明的な文章では、決して届かぬ領域があります。

 


私が大好きな仏像(レリーフ)

平等院鳳凰堂の

「雲中供養菩薩」(音声菩薩)

 

様々な楽器を持ち、奏でつつ歌いながら、

浄土からこの世へと舞い降りてくるお姿が

たまらなく愛らしくて美しいのです。

私が木彫制作する、

一つのきっかけとなった作品でもあります。

2026.06.04 Thursday